こうして僕のボクサー人生が終わりました。 眩しいばかりのライト…会長やセコンドがかけよってくる。レフリーは手を振っている。 1997年4月14日 1ラウンド KO負け 燃え尽きた…真っ白に… 25歳のことです。 小さい時から負けず嫌いの僕は、ケンカに強くなりたいと思い、 15歳でボクシングジムの門をたたきました。 ボクシングを始めて10年、日本チャンピオンに三回敗れ、 とうとう「チャンピオン」という、自分の夢を諦める日がやってきました。 元々、体の弱い僕は7年のプロボクサー生活で身体はボロボロでした。 腰、ひざ、足首、肩、あご、拳とどこかをかばうと他を痛めるという 毎日でした。2,0あった視力も0,4にまでさがりました。 青春時代をボクシング一筋で過ごした僕に、他の取り柄は何もありません。 ボクシングをやめ、いつまでもフラフラするわけもいかず…「ボクシングをやめたら うちにきなよ」と声をかけてもらっていたすし屋に、見習いとしてはいりました。 包丁ももったことのない僕が、板前修業をはじめます。もちろん先輩は年下でした。 しかし持ち前の根性で仕事を覚えていきました。5年ほど修行したときでしょうか、 常連のお客様が自分でうったそばを「まかないに食べて」と、もってきてくれました。 腕もあがり、そば屋の職人よりもすし屋の職人のほうが格が上だとおもっていたのに僕は、 そばってどうつくるんだろう…と頭の中で疑問を抱きました。そしてすし屋の修行を10年して、 はれてすし職人となった時に、今までもやもやしていたものがこみあげてきました。 「そばってどうつくるんだろう。うってみたい」と それから、同僚に紹介してもらい、 そばやでの修行が始まりました。しかし千葉の名店に選ばれていたその店は機械打ちだったため、 そばうちはそば教室に通いました。打ち方を覚えて手打ちセットを購入し、 そばやの店長に打ち場とそば粉を借りて、そば打ち練習がはじまります。 ランチ営業が終わり仕込みを終わらせて、夜の営業が始まる前の休憩時間に毎日うちました。 来る日も来る日もうちました。 そして2007年12月23日 江戸そば 料理帳 にし田をオープンしました。 がそば粉、だし、返しとゼロからスタートさせた為、なかなかお客様を満足させられるそばは 提供できませんでした。それでも1つずつ課題を掲げてクリアしていきました。 そして開店して3年半がすぎ、自分が目標にしていた「毎日、おいしく飽きずに 食べられるそばをつくりたい」という夢にかなりちかずいています。 今では「うまかったよ」とか「赤坂とか麻布でも通用するよ」 「最初はどうなるかと思ったけどこの味なら間違いない」 とか「こんなに細いのにこしがあるそば初めて食べた」 「長野に行っていつもそばを食べていたのにこんな近くにこんなうまい そば屋があったなんて」等々、うれしいお言葉をかけていただけるようになりました。 これからも亀戸天神の門前になくてはならない蕎麦屋になれる様、頑張ってていきます。 最後まで読んでいただきありがとうございました。 江戸そば 料理帳 にし田 店主 西田 裕 |
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亀戸天神前の日本そば店「にし田」の店主によるご挨拶を掲載しております
「にし田」は、亀戸天神の門前、亀戸野球場を挟んだ道路に位置した日本そば屋です。こだわりの自家製粉で打った十割そばは、細めんでありながらコシのあるそばで、今では常連のお客様も多くいらっしゃるようになりました。